シンボリルドルフ死亡

シンボリルドルフが、本日(10月4日)午前3時に亡くなった。30歳だった。

馬も30歳まで生きれば「大往生」なので、天寿を全うしたという形なのだが、往年の名馬がまた1頭逝ってしまい、悲しい気持ちである。

1つ年上の三冠馬ミスターシービーが霞んでしまうほど強い馬だった。
国内では3歳時(当時の表記は4歳)のジャパンC(3着)、4歳時の天皇賞秋(2着)しか負けなかった。
この天皇賞は、東京競馬場のゴール前で見ていたが、ギャロップダイナが1着でゴール板を駆け抜けた後、『こんなことがあってよいのか・・・』と、しばらく放心状態で動けなかった。翌日、大学の授業はそっちのけで、「シンボリルドルフの敗因」と題したレポートを書き、大学の仲間に見せて回った。競馬などどうでもよい仲間達にとっては迷惑だっただろうが、私にとっては衝撃的な出来事であり、それ程シンボリルドルフは強かった。

「この馬だけは海外でも通用する」と信じて疑わなかったのだが、アメリカ遠征でのサンルイレイSで惨敗。レース中故障したという明確な敗因があったのでその履歴に傷を付けることはなかったが、『故障しても勝てるだろ!』とメチャクチャなことを思った。
当時私は、『遠征するならアメリカじゃなくてヨーロッパだろ!』と不満だった。『アメリカの芝で勝っても偉くない』とも思っていた。ヨーロッパ贔屓と思っていた和田共弘オーナーが、なぜアメリカを選んだのか、理解できなかった。
今考えると、当時の日本競馬のレベルは現在ほど高くない。したがって、あのまま海外遠征を続けていても、重賞に勝てたのかは不明である。ただ、『こんな馬二度と出てこないぞ』と思っていた私は、サンルイレイSを最後に引退したことが残念でならなかった。

7月の新潟での新馬戦を勝った際、その素質の高さは玄人筋で話題になっていた。
しかし、私の記憶が正しければ、この頃に行われた某雑誌の対談で、和田共弘オーナーはシンボリルドルフについて聞かれると、「あの馬は2軍です。まだまだ強い馬がデビューを控えていますよ」と答えた。対談相手は「いや、あの馬は強いですよ」と返していたと記憶している。
謙遜していたのか見栄を張ったのかは不明だが、その後超一流馬になると、「シンボリルドルフを育てた男」と言うように報道されるのには多少の違和感を覚えた。
ただ、期待はしていなくても、父パーソロンに母父スピードシンボリである。和田さんが作った馬であり、和田さんの集大成的な血統であることは確かだろう。
ちなみに、野平調教師、岡部騎手はその素質を早くから見抜いていたようだが、新潟芝1000mデビューということからも、デビュー前はここまでの馬になるとは思っていなかったと思われる。「馬は走らせて見ないと判らない」とよく聞くが、デビュー戦で素質を見抜いた(確信した)ものと思う。

私は2歳時のレースは見ていない。だから、よく知らない馬だった。
生で初めて見たのは弥生賞。中山競馬場でのパドックで見たが、「パーソロン産駒らしい均整の取れた馬体だな」と思った。しかし、それ以上は特に感じなかった。
競馬仲間が、「シンボリルドルフは強いよ!凄く強い!」と騒いでいたが、内心『ビセンニシキのほうが強いんじゃないの?』と思っていた(ビセンニシキは4戦4勝。前走共同通信杯4歳Sを勝ち、弥生賞は1番人気)。
レースはシンボリルドルフが勝ち、ビセンニシキは2着。どんなレースだったかは忘れたが、とても安い配当の連複馬券が当たって嬉しかった覚えがある。

後継種牡馬のトウカイテイオーから、種牡馬になるような馬は出ていないので、サイヤーラインは消滅するだろう。このような名馬の系統が残ってほしいのだが、優秀な海外の系統には太刀打ちできなかった。

馬のレベルは進化するので、3歳のシンボリルドルフがタイムスリップをして現在に出現しても、重賞を勝つ程度のレベルだろう。
ただ、競馬を相対的な能力で見た場合、「今まで見た馬での最強馬は?」と聞かれたら、私は迷わず「シンボリルドルフ」と答える。
それ程この馬は強かった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック